ここでは僕が経験した身近な同僚を亡くしたという経験をストーリー風に記事にしています。
「第二回目の投稿から重たすぎるよ。」
と感じてしまった方はすいません。
僕自身、このことがきっかけで色々と考えることが増えました。
また、今後の人生においても考え直すきっかけとなり、この話題を抜きに今後の話もできないと思い、書くことにしました。
この手の話題は重たすぎてちょっと…という方は、ここでUターンしてくださいね。
あとこの記事を書いていると、長くなってしまったので、時間に余裕のある時に見ていただけると幸いです。
この記事から感じ取ることは、人それぞれあると思います。
僕自身、少なくとも、このような僕と同じ経験、同じ後悔をする前にできたことがきっとあったはずなので、後悔する人が少しでも減ればいいなと思って投稿しました。
では、気合いを入れて、どうぞ。
元同僚の訃報
久しぶりの連絡
「たつごり君、知ってる?田中(仮名)が亡くなったの。」
去年の夏、まだまだ蝉(セミ)の鳴く声が聞こえる暑い日の夕方、元上司からの突然の連絡。
その元上司は、よく冗談から入る電話の掛け方をして下さる方で、この時も僕は最初、冗談だと思いました。
僕は
「えっ?またまた~、ご冗談を。」
と久しぶりの連絡にテンションが上がりながら返しましたが、元上司は、いつものノリとは全く違う雰囲気を醸し出してました。
「たつごり君、いやいやほんまやねん。たつごり君が知らんかったらあかんと思って連絡したんや。」
「えっ?ほんまですか?そんなわけないでしょ?だってこの前も田中さんとも電話しましたし。」
田中さん(仮名)
田中さんは、僕より3つ年上で、年下の僕にすごくやさしく接してくれる人です。
僕の方がちょっとだけ先に元職場にいたからという理由だけで、ものすごく気を使ってくれます。
時にはよき仕事仲間、時にはよきライバル、僕からしたら何でも教えてくれる年上の先輩です。
田中さんとは約2年間ほど同じ職場で仕事を一緒にしました。
コミュニケーションが下手くそな僕は、職場の人と仕事以外で会うということはほとんどしてきませんでした。
しかし、この元職場では元上司が音頭を取ってくれて、軽い慰安旅行が開催されました。
僕は
『心を許せる仕事仲間に出会えた。』
と嬉しく思いました。
その後、そのような行事には積極的に参加するようになり、田中さんを含む数名でよく飲みに行ったりするようになりました。
異動後
今から約数年前の春、僕と田中さんと元上司は時期を同じくして異動が決定しました。
みなそれぞれ別の部署へと配属が決定し、みんなバラバラになりました。
しかし、元職場で築き上げたみんなとの絆は離れていても崩れるものではなく、堅い絆で結ばれていると感じていました。
それを証明するかのように、異動後もちょくちょく連絡を取り合っていたので、遠い存在とは感じることはなく
「たつごりさん、元気ですか?僕は元気にやっていますよ!」
と度々連絡をくれるのはいつも決まって田中さんの方からでした。
「いやー元気ですよ!田中さんも元気そうですね!最近仕事ではこんなことやあんなことや…」
と、仕事での悩みやプライベートのことなど、話し始めたら時間が経つのが一瞬すぎて、いつも時間を忘れてバカ話をしていました。
田中さんは、異動後もとても僕のことを気にかけてくれていて、田中さんが仕事で成果を上げた時に、それを理由にいつも連絡をくれました。
これはいつも二人で切磋琢磨していたころからの名残りで、成果を出したときに二人で互いに褒め称え合うということをしていました。
異動から数年後
新しい部署での仕事も、ようやく慣れてきて忙しく感じるようになってきたころ、元職場のメンバーと連絡を取り合う回数も知らず知らずのうちに少なくなっていました。
『そういや、最近田中さんからの連絡が無いな~、忙しいのかな~。ぼちぼち一年くらい連絡無いんか~。さすがに丸一年位連絡が無いのは今までなかったな~。』
そんなことをなんとなく思いながら
『田中さんのことだから、また仕事で成果を出したら連絡してくれるだろう。』
と思い連絡をせずに、目の前の仕事に取り組んでいました。
元職場の先輩から連絡
突然の田中さんの訃報を知らせる元上司からの連絡に、僕は戸惑いました。
元上司との電話を終え、まだ
『そんな訳ない。だってこの前も連絡してきてくれたし、なんかの手違いか、まーまータチの悪い、ノリの長い冗談やで。』
『たぶんどっかのタイミングで、テッテレー、ドッキリでしたー!とか言うて田中さんが出てきてくれんねやろ。』
と元上司からの連絡を話半分どころか話を1割くらいにしか聞いていませんでした。
元上司との連絡が終わるとすぐに携帯が鳴りました。
元職場の先輩からでした。
僕は
『ま~た手の込んだドッキリ仕掛けてくるな~。先輩からなんかめっちゃ久しぶりの連絡やで。』
と思いながら電話に出ました。
「たつごり君、田中さんのこと聞いた?」
「えっ、あー、聞きましたけど、ウソでしょ?だってこの前もめっちゃ元気そうにしてて電話したところですよ。」
「いや、信じられへん気持ちは分かるけど、ホンマやねん。ちょっと送るわ。」
田中さんの訃報を知らせる正式な通知が僕の携帯に表示されました。
僕は、血の気が引きました。
それと同時に
『ウソやろ、ウソやろ、ウソやろ、いやいやタチ悪すぎるでこんなんまで作って。大がかりすぎるやろ。』
と頭の中が若干パニックになりながらも
『ほんまかも知らん。いやでもそんな訳ない。どっちにしろ何で亡くなったんか聞こ。まだ信じられへんけど、この悪いノリに付き合うか。頼むから悪いノリであってくれ。いや、むしろ誰でもいいからドッキリって言ってくれ。早く。』
すぐに電話が鳴り、先輩から
「たつごり君、見た?」
「見ました。えっ…ホンマなんですか?」
「ホンマやわ。残念やけど…」
「えっ、何で亡くなったんですか?」
「自分で首くくってしまったらしい。」
後悔の波
僕は、先輩からの電話を切った瞬間か、切る直前かもうハッキリ覚えてないのですが、すでに涙が止まらなくなっていました。
真っ先に出てきた言葉は
「田中さん、何してんねん!!」
でした。
そこから一気に後悔の波が押し寄せてきたけど、僕は僕自身を正当化するように
『田中さん何で僕のこと頼ってくれへんかってん!』
『悩んでたんやったら言ってきてくれよ!』
と田中さんが頼ってきてくれなかったことを田中さんのせいにして、責任逃れをすることばかり考えていました。
でもそんなことばかり考えていても意味が無いと思い
『なんであの時、最近連絡無いな~と思ったあの時、なんで僕は連絡せぇへんかったんや。』
『あの時連絡してたら、何か変わってたかも知らんのに。』
『あんなにも僕のことを気にかけてくれてたのに…なんで僕はもっと田中さんのことを気にかけへんかったんや。』
との想いが徐々に強くなり、強くなればなるほど、涙は止まりませんでした。
ほんとにここでは
『ドッキリであってくれ。今ドッキリでしたって言ってくれたら、絶対怒れへんから。ドッキリやったらそれはそれで泣いて喜んで、田中さんとまたいつもどおりバカ話がしたい。』
とずーっと思ってました。
お通夜
田中さんからの訃報の連絡を受けて次の日がお通夜の日でした。
仕事はたまたま休みで、電車に乗って、普段乗らない路線に乗って、会場まで足を運びました。
会場に田中さんのフルネームが書かれているのを見て、ここでようやく
『ドッキリじゃなかった…』
と落胆し、涙がこみあげてくるのをグッと我慢しながら、会場の中に入りました。
田中さんが笑ってる遺影が目に飛び込んでくると同時に、今まで我慢してた感情が、一気に爆発しました。
それでも周りの目を気にして
『泣くな泣くな泣くな泣くな泣くな』
と自分に言い聞かすのですが、無理でした。
田中さんとご対面をせずに帰ろうかとも思いました。
このまま、現実を知らないまま帰った方がダメージが少なくて済む、そう考えました。
でも、田中さんの最後の顔を見ないで、あとになって後悔したら、また過去の自分を恨むことになるだろうと思い、現実を受け止めようと思いました。
田中さんの顔は、とてもきれいでした。
ただそこで横になってるだけ。
声を掛けて呼び起せば、すぐ起きてくれそうでした。
いつもの笑顔でこっちを向いてくれそうでした。
そこにいるのは紛れもなく田中さん。
もう悲しさが爆発しつつも、後悔の念も相まって、泣くのをやめようとすると、余計に泣いていました。
原因
お通夜が終わり、元上司達との会話の中で、田中さんがなぜ亡くならなければならなかったのか、それを元上司はそれとなく知っていました。
それは断定はできませんが
・職場環境
・精神的身体的ストレス
だと、言っていました。
僕は、田中さんの職場の人間を恨みました。
『お前らは、田中さんに何をしたんや。』と。
僕の感情が、徐々に憎悪へと変わっていくのがわかりました。
仕事内容について、深くは触れることはできません。
しかし、僕は田中さんの立場になって考えた時、とても深く共感できる経験を当時の部署で経験していました。
田中さんは、徐々に孤立するようになってしまったのかもしれません。
そんな時に気づいてあげていれば…
それらの職場環境でのストレスが原因で精神的・身体的にも支障をきたしてしまったのかもしれません。
確実な真実は田中さん本人または、ご遺族にしかわりません。
僕の想い
田中さんは、仕事熱心で、優秀な人材であったことは、間違いありません。
一緒に仕事をしていたのでわかります。
なぜ、優秀な仕事熱心な人が、周りの環境に合わないことで、自ら命を絶たなければならなかったのでしょうか。
僕は、田中さんみたいな人こそ、会社にはなくてはならない存在だと思うのに、出る杭は打たれる状態で、田中さんは周りから何らかの圧を掛けられていたのだと思います。
みなさん、どうでしょうか?
仕事をする人間が自ら命絶つ方向へと持っていかれる会社の仕組み、制度、僕の勤めている会社以外にもあると思います。
どう考えても超ドブラック企業です。
僕はこんな会社の仕組み、制度に嫌気が差し始め、この会社を大きく変えることはできないかと考えました。
しかし、それにはかなりの時間を費やすばかりか、変化させれる保証はどこにもありません。
ならば、僕が変わるしかない。
転職若しくはフリーランスという考えに至りました。
この考えは、田中さんが身をもって導き出してくれた、大変貴重な貴重な、貴重すぎる答えだと感じています。
ストレス社会
会社に出社すれば、大なり小なりストレスはあると思います。
そんなストレス社会と日々戦っているみなさんを僕の少ない経験ですが何かお役に立てることができればと思っております。
人間は、大きなストレスを2個か3個抱えることで、自ら命を絶つ方向へと考えてしまうというデータがあるそうです。
周りからみれば、たったの2,3個。
しかし、本人からしてみれば2個。3個目なんかもう無理。
となります。
なので、悩みがあるときの具体的なアクションプランは
・身近な相談できる人に相談する
・話を聞いてもらうだけでもいいので、とにかく聞いてもらう
・同じ空間に友人を呼ぶ、若しくは電話をする
・ストレス発散方法を自分で見つけに行く
・自分と合わない相手とは関わらない
・我慢しなくていい
・嫌なら逃げてもいい
・部署を変えてもらう、または自分で変わる
・自分で自分を褒める
・他人に期待しない
・他人の性格を変えようとしない
・他人の悪口を言わない
・自分を変えることから始める
など、僕は専門家では無いのでこれくらいしか今のところ思いつきません。
これからもっと、ストレス社会と戦う術を勉強、研究していきます。
これらのアクションプランについても、深く掘り下げた内容の記事も投稿する予定です。
身近な方を亡くされた方へ
最後に、田中さんが亡くなって、その現実をどう受け止めていけばいいのか、と考えているとTikTokで仏教の教えを唱えている【えしゅん お寺】さんがいたので紹介しておきます。
まずはこちらをご覧ください。
下の青い文字の部分を押してください。動画へ飛べます。↓
僕は、この動画で気持ちがとても救われました。
田中さんが亡くなられたことを決して無駄にはしない。
これからの僕を見守ってもらおうという考えに変えることができ、少しほっとしています。
みなさまの生活から少しでもストレスがなくなることを心より願っています。
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